北見昌朗は若い頃、障がい者向けのボランティア活動をしてまいりました。
所属していたのは「愛知県重症心身障害児(者)を守る会」の「青年グループ」です。その「守る会」は、現在「社会福祉法人むつみ福祉会」になっています。

「むつみ福祉会」のホームページをみると、沿革にこう書かれています。

昭和38年6月重症心身障害児の母たちが発起人となり「むつみ母の会」として活動を開始
昭和39年6月全国重症心身障害児(者)を守る会 結成
昭和41年5月「むつみ母の会」が愛知県重症心身障害児(者)を守る会を結成
全国重症心身障害児(者)を守る会の愛知県支部となる。結成大会を挙行
昭和52年12月愛知県重症心身障害児(者)を守る会施設設置運動開始、以後2年間にわたり会員の積立金開始

このように障がい者運動の草分け的存在でした。

昭和57年(23歳)から平成6年(34歳)にかけて

北見昌朗は、そのボランティアグループのリーダーを長年努めていました。

障害児はいろいろな方がいらっしゃいましたが、主に身体障害(車いす)とか知的障害が多かった。障害児を連れて、旅行に行ったり、チャリティーをしたりしていました。

「むつみ福祉会」のホームページをみると、沿革に次のように載っています。

昭和58年4月デイサービス施設を進める会に加入し市への陳情開始
昭和63年2月短期募金目標1,500万円決定、地区別懇談会で意思統一
昭和63年7月通所訓練施設「むつみハウス」開所、言語・作業訓練開始
昭和63年9月社会福祉法人むつみ福祉会許可
昭和63年11月建設着工
平成元年5月「むつみハウス」開始
平成元年6月1日より「むつみグリーンハウス」「デイサービスむつみ」開所

栄の街頭に立って寄附金集めをしたこともありました。
施設である「むつみグリーンハウス」が完成した時は、嬉しかった。祝賀会を忘れられません。

このボランティアグループは、厚生大臣表彰まで受けました。懐かしい想い出です。賞状を持っているのが北見昌朗です。

平成9年(37歳)以降

北見昌朗は社会保険労務士事務所を創業したので多忙を極めました。ボランティア活動はできなくなりましたが、その代わりに寄附を始めました。「むつみ福祉会」に対して毎月1万円を寄附するようになり、30年近く続いています。

令和2年(61歳)

令和2年は、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るいました。
社会保険労務士法人北見事務所は名古屋市を通じてアルコール100万円分を名古屋市内の障がい者施設に寄附しました。当時の記事です。

その後、マスクを1万枚寄附して回りました。

令和6年(65歳)

新たに社長になった双光エシックス(株)で、障がい者に仕事を紹介する有料職業紹介所を開業しました。

有料職業紹介所とは

職業紹介とは、求人及び求職の申込みを受け、求人者と求職者の間の雇用関係の成立をあっせんすることです。

有料職業紹介は職業安定法に基づき、厚生労働大臣の許可が必須です。
双光エシックス(株)は、その許可を得ています。